2011/06/22  

八柱神社【やはしらじんじゃ】

 

八柱神社【やはしらじんじゃ】
八柱神社

八柱神社

八柱神社

・養父市八鹿町八鹿
・本殿
県登録有形文化財

●19世紀前期の組物、彫刻が残る
養父市八鹿町八鹿地区景観形成地区の重点文化財活用地区にある神社で、2007年(平成19)に県の文化財に登録されました。桁行一間、梁間一間の入母屋造で、屋根は柿葺。建立年代を示す資料は残っていませんが、建築様式から文化年間(19世紀前期)とみられています。
装飾性に富んだ建築で、獅子、木鼻の象、波と兎など、繊細で精巧な彫刻がみられます。また、屋根は複雑で丁寧なもので、入母屋造の本殿には、正面に千鳥破風を付け、さらに軒唐破風を重ねています。
当初の部材が状態の良いままで多く保存されており、地域の歴史や文化の特徴を示すものとして、貴重な建築物です。

達徳会館【たっとくかいかん】

 

達徳会館【たっとくかいかん】
竹野駅舎

竹野駅の跨線橋

達徳会館
・豊岡市京口(豊岡高等学校内)
・県指定文化財

●豊岡高校の本館として建てられた擬洋風建築物
豊岡市の県立豊岡高等学校敷地内にある達徳会館は、2008年に兵庫県指定文化財に登録された近代化遺産です。1896年、兵庫県豊岡尋常中学校(現豊岡高校)の本館として建築され、市内に現存する明治期の数少ない擬洋風官公庁建築のひとつです。姫路尋常中学(現県立姫路西高等学校)に次いで、兵庫県下で2番目に古い中学校として、神戸尋常中学校(現神戸高等学校)と同年に建てられました。

1941年、校舎の前面改築の時に、この建物の消滅を惜しんだ同窓会組織の達徳会が譲り受け、元から少し離れた現在地に移築されました。以来、この建物は達徳会館と呼ばれ、現在に至ります。
木造2階建ての瓦葺き屋根。当時、1階は校長室、職員室、宿泊室等で配置され、2階は講堂でした。同市出石地区にある「明治館」とよく似た造りで、外壁は下見板張り、四隅にコーナーストーンを型取った板を張ったりと、洋風の建築物を真似た造りになっています。玄関ポーチには4本の円柱が立ち、古代ローマ建築の列柱様式を模した柱頭が特徴的です。講堂として儀式に使用されていた2階のベランダ部分は、明治天皇・皇后のご真影の奉安所として設けられたものです。同じような建物として、丹波市の氷上郡第一高等小学校(現在は大手会館)が残っています。

※同会館は非公開

永楽館【えいらくかん】

 

永楽館【えいらくかん
永楽館永楽館
廻り舞台

永楽館
奈落

永楽館
・豊岡市出石町柳
・近代化遺産

●関連情報
永楽館


●大正11年頃の姿へと忠実に復原された芝居小屋

2008年7月、平成の大改修により蘇った豊岡市出石町の芝居小屋「永楽館」。1901年に建設された、都市劇場建築の芝居小屋で、明治後期から昭和初期にかけて但馬の大衆文化の中心として栄えました。廻り舞台、奈落、花道といった貴重な劇場機構など、明治期に残る芝居小屋としては近畿地方に現存する唯一のものといわれています。
2006年から始まった復原工事では、芝居小屋としての舞台機構が最も充実していた大正11年頃の姿へと復原されました。文化財の復原では、「復元」ではなく、「復原」の文字があえて使われます。当時の図面や過去の資料をもとにして痕跡調査を行い、根拠を持って元の状態に戻すことを「復原」と呼びます。
幸いなことに永楽館には、過去100年間の増改築を記した図面がよく保存されていて、工事に先立っては丹念な痕跡調査が行われました。
外壁は復原後の姿を左右する大きな要素であり、綿密な調査を実施。一般的に古い建物の壁は、竹で組んだ骨組みに荒土を塗り、その後、中塗り、上塗りときめの細かい壁土を順に塗って仕上げていきます。調査では工程の逆の順番で壁土をはがしていき、構造を探る作業が行われました。その結果、人目に触れる表側は白漆喰塗りで、見えない部分(東面と南面)は荒壁塗りであることが判明しました。
しかし、さらに調査を進めていくと、白漆喰で仕上げられた壁の中塗り部分がひどく汚れていることが確認され、これは中塗り状態のまま長く放置されていたことを示していて、後になって白漆喰が塗られたことが判りました。そのため、復原後の表側の外壁は中塗り仕上げとなっています。見落とせば、白壁の永楽館になっていたわけで、こうしたち密な調査の下に復原されています。
また、水色に塗られた2階外側の窓枠も、忠実に復原された部分。土壁に水色の窓と一見アンバランスに感じられますが、『出石町史』には、当時、地元の弘道小学校で使われていたものが転用されたことが記されています。木肌にも青い塗料が残っていて、大正時代の永楽館が見事に復原されています。

和田山駅機関庫【わだやまえききかんこ】

 

和田山駅機関庫【わだやまえききかんこ】
和田山駅機関庫

和田山駅機関庫
和田山駅機関庫
・朝来市和田山町東谷
・近代化遺産

●但馬に残る稀少な赤煉瓦造建築
1906年(明治39)、播但鉄道(現JR播但線)が延長され、竹田駅・和田山駅が誕生しました。1911年(明治44)には、和田山と福知山を結ぶ福和線(現JR山陰本線の一部)が開通し、和田山駅は両線の接続駅となり、翌1912年(明治45)、機関庫と給水塔・転車台、引き込み線などの付属施設が建設されました。
現在倉庫として利用されている機関庫は、1991年(平成3)までのおよそ80年間にわたり、蒸気機関車やディーゼル機関車の点検修理などのための施設として利用されてきたものです。
建物は切妻屋根をもつ煉瓦造平屋建で、機関車引き込み線は2線を有し、両妻面に設けられた各2カ所の開口部は石造半円型アーチになっています。赤煉瓦の壁面を縁取るように設けられた御影石の白がアクセントとなっており、全国においても数少ない煉瓦造りの機関庫です。

八鹿駅舎と跨線橋【ようかえきしゃとこせんきょう】

 

八鹿駅舎と跨線橋【ようかえきしゃとこせんきょう】
八鹿駅舎
八鹿駅舎
・養父市八鹿町八鹿
・近代化遺産

八鹿駅舎
星形の窓

八鹿駅舎
柱脚に残る
「鐡道新橋 明四十」の銘文

●国内で2番目に古い鋳物の柱脚が残る駅

八鹿駅舎は1908年(明治41)に建設され、1934年(昭和9)の改築で現在のようなモダンな姿になりました。玄関横には、八つの星をイメージした星形の窓が取りつけられています。
ブレス構造の跨線橋の鉄柱には「鐡道新橋 明(治)四十」という銘文が刻まれています。新橋というのはJR(旧国鉄)の前身である帝国鉄道庁の新橋工場のこと。新橋工場でつくられた跨線橋が1907年(明治40)に福知山駅で組み立てられ、1955年(昭和30)に福知山駅から八鹿駅に移転されました。
今は白く塗られていますが、できあがった当時は緑色であったと当時の新聞に記載されています。1番古い鋳物の柱脚の跨線橋は、山陰本線の大田市駅にある跨線橋で、1890年(明治23)に製作されているものが使ってあります。八鹿駅の跨線橋はそれに次ぐ古さと考えられ、注目されています。明治時代の鋳物の柱を使った跨線橋は、但馬では八鹿駅と竹田駅しか残っていません。

2011/06/22  

宗鏡寺【すきょうじ】

 

宗鏡寺【すきょうじ】


宗鏡寺
・豊岡市出石町東條

・宗鏡寺本堂庭園
県指定名勝

●別名沢庵寺、沢庵の名園や復元された庵がある
入佐山のふもと、山名氏の菩提寺として明徳3年(1392年)山名氏清によって創立されました。寺名は氏清の法号、宗鏡寺殿から名付けられたとも言われています。しかし、山名氏滅亡後、寺は荒廃してしまい、元和2年(1616年)沢庵和尚が、出石城主小出吉英に再興をすすめ、以後歴代の藩主の加護を受けてきました。 沢庵手造りの名園があり、 昭和43年には、 沢庵が庵を建て静かに生活を送ったとされる投渕軒が復元されています。沢庵和尚ゆかりの寺として、「沢庵寺」とも呼ばれています。

2011/06/22  

正福寺【しょうふくじ】

 

正福寺【しょうふくじ】

正福寺

・新温泉町(旧温泉町)湯
・不動明王立像
県指定文化財


・ショウフクジザクラ
県指定天然記念物
●湯村温泉の開祖・慈覚大師創建の名刹
 旧温泉町の荒湯を見下ろせる場所にあり、境内には夢千代像が佇んでいます。ここに咲く珍しい桜を見に、毎年多くの人が訪れます。この桜は、キンキマメザクラとヤマザクラの自然交配種で メシベが2~4本もあるという珍種。正福寺で発見され、「正福寺桜」と命名されました。4月上旬~中旬に咲き、花弁は50枚以上のものもあって、樹齢に関係しているといわれています。
嘉祥元年(848)、慈覚大師が湯村温泉開発の際に創建したと伝えられる名刹で、本堂には平安後期の作と考えられる不動明王立像が本尊として安置されています。
県の文化財に指定されているこの像は21年毎に開帳される秘仏で(2004年開帳)、普段は見ることが出来ません。高さ134.5cm、桂の木の一本造りで、面貌は引き締まり、明王としては怒りの表情が少ないものです。衣文の皺の表現に特色のある翻波式手法が用いられ、全体的に作風は素朴。この地方で造られた物と考えられています。
山門脇には、慶安の変(由井正雪の乱)の首謀者の一人、熊谷直義が建てた両親の供養碑があります。熊谷直義は、幕府転覆計画・慶安の変の発覚直後、この地に潜んで天寿を終えました。その遺品が寺内に保存されています。
湯村温泉と共に歴史を刻んできた由緒ある正福寺。賑わう温泉街を見守りながら、今も静かに時を刻んでいます。

一区公民館【いっくこうみんかん】

 

一区公民館【いっくこうみんかん】(旧生野警察署)
一区公民館
一区公民館
・朝来市生野町口銀谷
・近代化遺産●関連情報
朝来市ホームページ
●モダンな洋風建築の旧警察署
一区公民館は、1886年(明治19)に建設された旧生野警察署です。地元の大工・杉浦嘉作(すぎうらかさく)が生野銀山の洋風建築をまねてつくった擬洋風建築物で、木造平屋の建物です。
三角ぺディメントに軒蛇腹(のきじゃばら)を持ち、破風板にも優れた文様が施されています。玄関の円柱は少し控えめなデザインでつくられており、中央には両開きの出入り口があります。その脇には丸いひさしのついた小さなドアが2つ左右対称に設置されているのが特徴的です。
正面から見上げるのき瓦には警察紋章、その下には以前の町章が残されています。2001年(平成13)に改修工事を終え、現在は公民館として利用されています。

2011/06/22  

旧大岡寺庭園【きゅうおおおかじていえん】

 

旧大岡寺庭園【きゅうおおおかじていえん】
大岡寺庭園
旧大岡寺庭園
・豊岡市日高町大岡
・国指定名勝
●戦国末期武家好みの作風

大岡山の山中、標高507mにある旧大岡寺に残る庭園。この枯山水庭園は、巨岩が林立し、特に滝部の石組は桃山初期の様式をよく保ち、朝倉氏諏訪館庭園(福井県)に見られるような作庭手法と感覚的に似たところが多く、戦国末期の作庭と考えられます。
大岡寺の歴史は古く、縁起によると奈良時代に賢者仙人によって開かれたと言われ、永暦2年(1161)の記録によると、薬師堂、護法所、拝殿、温屋、僧坊などの堂舎のほか、大岡神社、白山権現社などが建立されていたことが記されています。しかし、明応4年(1495)の火事で焼失、その後再建され、近年まで護摩堂、鐘楼、梵鐘、仁王門がありましたが、昭和38年頃から周辺の民家が山麓へ集団疎開し、昭和42年、寺も移築、現在は庭園だけが残されています。
庭園構成は、庫裡と本堂の間に作庭された面積約365平方メートル(110坪)の池泉観賞式庭園で、要所に巨石と立石を配し、しかも大岡山の斜面を利用して、裏山も取り込み広がりがあります。中心は滝石組で、もとは頂上付近から流れ出る水が滝へ注がれていたと考えられます。滝上部の立石は守護石と考えられ、本庭の中心地石でもあり堂々とした風格があります。
昭和47年、国の名勝にも指定されています。

2011/06/22  

日光院【にっこういん】

 

日光院【にっこういん

日光院
養父市八鹿町石原
・日光院文書

県指定古文書

●関連情報
日光院

●妙見信仰の一大霊場として発展
養父市八鹿町石原にある日光院は、真言宗高野派に属して妙見山日光院といいます。寺伝では、六世紀に日光慶重という道士が草庵を結んで建立したのに始まると伝えています。本尊は弘法大師作とも言われる妙見大菩薩で、妙見信仰の一大霊場として発展しました。

日光院文書は県指定文化財で、巻子本六巻などに仕立てられた合計133通の古文書です。内容は応永十四年(1407年)から天正七年(1579年)までに書かれた室町時代の寄進状です。山名宗全をはじめ、垣屋・八木・太田垣氏など但馬の有力武将たちの祈願所となりました。寺領は播磨、因幡にもおよび、中世にはその全盛が示されています。
寺域は眼下に石原集落を見下ろす景勝の地で、境内には樹齢600年の大イチョウがあります。秋の紅葉の季節には黄色の絨毯を敷き詰めたような景色を楽しませてくれます。