2011/06/22  

モリアオガエル

 

モリアオガエル

モリアオガエル

モリアオガエルの卵
 

●関連情報
日本のカエル

●梅雨になると産卵場に集結、メスをめぐって争奪戦
5~6月ごろ、木の枝に、白い泡状の卵を産みつけることで有名なカエルで、背中には緑色の地に紅褐色の斑紋があります。
地域によっては天然記念物として保護されており、但馬の各地にも広く分布していますが、そのわりに目にすることが少ないのは、普段、山地の木の上で生活することが多いから。産卵期以外はあまり人目につかないようです。
モリアオガエルは産卵のため、梅雨の時期になると、近くの林から池や水たまりの上に張り出した木を目指して集まってきます。そうして周囲が暗くなったころ、産卵場となる木の枝に登ります。木の枝に陣取ったオスは「クックックッ」と鳴いてメスを誘い、メスが近づくと、メスの背中に乗って、産卵に適した枝先まで移動します。このとき、ほかのオスたちもメスを奪おうと飛びついてきます。産卵場所に着くと、背中に乗ったオスは、メスの腹部を絞るようにしてゼリー状の粘液と卵を出させ、後足で粘液をかきまわして泡状にするのです。こうして枝に産み付けられた卵は1~2週間でふ化し、オタマジャクシは、枝の下にある池や水たまりに落ちて、夏ごろには小さなカエルに変態していきます。

2011/06/22  

ウツギノヒメハナバチ

 

ウツギノヒメハナバチ

ウツギの花粉や蜜を集めるメス。後ろ足に幼虫のエサとなる黄色の花粉がついています。
ウツギノヒメハナバチ
群生地(楽音寺)

・県指定天然記念物
・朝来市山東町楽音寺579
・TEL 079-676-2340

 

●関連情報
ウツギノヒメハナバチの不思議

●朝来市山東町・楽音寺の境内は、日本一の群生地
白く可憐な花を咲かせるウツギ(ウノハナ)の花粉と蜜で生きているウツギノヒメハナバチは、ウツギの木から半径数百mの範囲でしか生活していけません。そのため、この名前がつきました。学名はアンドレナ・プロストミアス。
ウツギの木がある九州から東北にかけて生息しており、但馬各所にもいますが、特に朝来市山東町「楽音寺」(がくおんじ)は、全国でも類を見ないほどの群生地として有名です。ウツギの花が咲く5月末~6月中旬、梅雨入り前の晴天が続くころになると、楽音寺の境内、600平方メートルの前庭は、成虫になって土の中から出てきたハチが一面に飛び回ります。ハチが飛び出した土の表面は穴があいて盛り上がり、庭がまるで月のクレーターのよう。その上を、最盛期には何万というハチが乱舞する光景は圧巻です。

境内にこのハチが住み着いたのは、100年以上も前からだそうで、境内の土壌(花崗岩の風化した真砂土)、水はけ、通気性、保水性、日照時間などが、営巣場所として最適だったのだろうということです。

●晴天の早朝、土の中から出てきます
ウツギノヒメハナバチは、オスが体長10~11mm、メスが12~13mmと、メスの方がひとまわり大きく、オスには頭に黄緑色の斑点があります。単独性で、メスが花粉や蜜を集めるため、足に黄色い花粉をつけているのがメスです。ミツバチのように刺したりはしません。
天気の良い早朝、7~8時ごろ土の中から出てきて、はじめは地面をはっていますが、気温が上昇して体の湿り気がなくなると、地上30~60cmくらいの高さで飛行し、ウツギの花を求めて境内から飛び立ち、後ろ足に花粉や蜜をいっぱいつけてもどってきます。そして土の中の育房に持ち込んだ花粉と蜜で、まん丸の花粉団子(約5mm)をつくり、そこに卵1個を産卵します。ふ化した幼虫は花粉団子を約1ヶ月で食べつくし、あとは静かに越冬します。

すっかり初夏の風物詩となったハチの乱舞ですが、20年前と比べると、ハチや巣の数がずいぶん減ったということです。

2011/06/22  

オオサンショウウオ

 

オオサンショウウオ

オオサンショウウオ

・国指定特別天然記念物
(場所は不特定)

●世界最大の両生類、世界でたった3種の貴重な生物
「生きた化石」といわれるオオサンショウウオは世界最大の両生類で、カエルやイモリの仲間です。その発生は2億年前にも遡りますが、ヨーロッパでは氷河期を経てほとんどが滅び、現在地球上では、日本、中国、アメリカで、わずか3種しか残っていないという貴重な生物です。アメリカのものは「ヘルベンダー」(地獄に向かう人)と呼ばれ、大きくて70cmほど、中国のものは「ワーワーユイ」と呼ばれ、150cmほどになるそうです。

●但馬では身近にみられる特別天然記念物
オオサンショウウオは、山間の清流のくぼみ(穴)などを好んで棲み、小魚・サワガニ・カエル・水中昆虫などをエサにしています。夜行性で、昼間は岩の下や川岸の巣穴にひそんでいて、暗くなると川の中に出てきます。大きさは一般に40~120cmで、160cmに達するものもあり、体の色は黒褐色で黒い斑紋があります。皮膚に多くのイボがあって、これを刺激すると山椒(さんしょう)のような香りの乳白色の液を出すところから、サンショウウオの名がついたようです。
アンコ、ハンギ、ハンザキとも呼ばれ、半分に裂いても死なないほど強い生命力をもつとか、食いついたら雷が鳴るまで放さないなどとも伝えられ、不老長寿の食べ物として用いられたこともあったとか。
産卵は9月ごろにおこなわれ、40~50日でふ化。ふ化した幼生は、4~5年で25cm前後になり、このころエラがなくなって変態が完了します。寿命ははっきりしませんが、60年以上も生きた例が報告されています。

兵庫県では但馬・丹波などのほとんどの河川の上流部に生息していることがわかりました。但馬では円山川、大屋川、八木川、出石川、竹野川など、どこにでもいる身近な生き物といえるでしょう。オオサンショウウオが棲むには、エサとなる生き物が豊富で生態系が保たれ、川岸に住みかとなるくぼみや奥行きのある産卵巣などが必要です。平成2年から6年間かけて行われた養父市建屋川の治水工事では、オオサンショウウオの生息と治水を両立させるため、全国でも初めてのさまざまな取り組みがおこなわれました。

2011/06/22  

古生沼の高地湿原植物群落 【こせいぬまのこうちしつげんしょくぶつぐんらく】

 

古生沼の高地湿原植物群落
【こせいぬまのこうちしつげんしょくぶつぐんらく】

古生沼の高地湿原植物群落・県指定天然記念物
・氷ノ山
●国内高山性湿原植物群落の南限地
氷ノ山は、兵庫県の最高峰で、標高は1,500m余り。それなのに、山頂付近の湿地や岩場には氷河時代の植物が今も生き残っています。これらは残存植物と呼ばれ、とくに貴重な植物です。
氷ノ山の頂上から東方へ130mほど下ったあたり、養父市奈良尾と養父市大屋町横行にまたがる、標高1,498m、面積1,000平方メートルほどの湿原があり、豊富な湿原植物が自生しています。北方系の亜高山植物の宝庫で、オオミズゴケ、ヒメミズゴケ層がよく発達し、その中にツマトリソウ、クサゴケ、コイヌノハナヒゲ、アイバソウ、トキソウ、キソチドリ、バイケイソウなどが生え、池の部分にはヤチスゲが、周辺の半乾湿地にはアカモノ、エゾリンドウ、モウセンゴケ、マイズルソウが、さらにその周辺にはイヌツゲ、アカミノイヌツゲなどが生い茂り、湿地を囲む低木としてはクロモジ、マンサク、キャラボク、ナナカマド、アシオスギなど、50種以上が自生しています。

ここは国内高山性湿原植物群落の南限地で、1965年、県の天然記念物に指定されています。人の手の入らない原始の世界が残る氷ノ山の、ふところの深い豊かな自然の表情がこの湿原にもうかがえます。

2011/06/22  

加保坂のミズバショウ自生地【かぼさかのみずばしょうじせいち】

 

加保坂のミズバショウ自生地【かぼさかのみずばしょうじせいち】

ミズバショウ加保坂のミズバショウ自生地
・県指定天然記念物
・養父市大屋町加保坂58
 

●関連情報
養父市役所

●学術的にも貴重な、ミズバショウ自生の南西限
ミズバショウはサトイモ科の植物で、本州の中部地方以北、北海道、サハリン、カムチャッカ、東シベリヤの温帯から寒帯にかけて分布し、山中の湿地や湿原に群生する多年草です。
一般に、尾瀬原や東北・北海道など北国の春を彩る植物として知られ、自生地の南限は岐阜県・蛭ヶ野高原とされていましたが、1975年に、大屋町加保坂でも自生していることがわかりました。最初は自生かどうかの議論もありましたが、泥炭層の花粉分析によって約11000年前から自生していたことが確認されました。ここが日本でのミズバショウの南西限で、学術的にも貴重な発見となりました。
標高520m、約4,000平方メートルの湿地のあちこちでは、4月の中ごろから、約2000株のミズバショウが白い花を咲かせ、4月下旬~5月上旬が見ごろとなります。
毎年4月29日(祝)には、ミズバショウ祭りが行われ、多くの人でにぎわいます。

2011/06/22  

古千本・千本杉の湿性植物群落 【こせんぼん・せんぼんすぎのしっせいしょくぶつぐんらく】

 

古千本・千本杉の湿性植物群落
【こせんぼん・せんぼんすぎのしっせいしょくぶつぐんらく】

古千本、千本杉の湿生植物群落・県指定天然記念物
・氷ノ山(養父市)
●氷ノ山の尾根にある高湿性植物群
氷ノ山山頂付近の湿地や岩場には、氷河時代の生き残りの植物が今も生息しています。標高1,400~1,500m、氷ノ山山頂から東南東に600mほど下った尾根すじには、天然性の杉(アシオスギ)が群生しています。高木層は杉が優占しており、低木層・草木層は湿地のため、ヤマウルシ、シラネワラビ、ツタウルシなどの高湿性植物が繁殖して、特異な景観をつくりあげています。また、岩場周辺ではコケモモ、コメバツガザクラ、イワキンバイ、イワカガミ、ホツツジ、ユキグニミツバツツジ、コオニユリなどが見られます。1972年、県の天然記念物に指定されました。

2011/06/22  

口大屋の大アベマキ【くちおおやのおおあべまき】

 

口大屋の大アベマキ【くちおおやのおおあべまき】

口大屋の大アベマキ

・国指定天然記念物
・幹まわり4.5m
・樹高 17m
・樹齢 約400年
・養父市中字法仙地471-1

●神の宿り木として大切にされる大アベマキ
口大屋小学校の南東約1.5kmの山腹に自生する大アベマキは、「神の宿り木」として地元の人に大切にされてきました。昔から大屋の山々は鉱山として重要な位置にあり、徳川時代、上山区は生野藩、中村区は出石藩であって、いつもこのアベマキ付近で領地争いが起こったようで、境界の木としてのアベマキにまつわる伝承もたくさんあります。
樹高17m、幹まわり4.5m。樹齢は約400年と推定される、全国的にもまれな巨木です。

地元ではこの木をクヌギと呼んでいますが、正しくはアベマキ。クヌギに似た落葉高木で、温帯を指標する木です。クヌギに比べて樹皮が厚く灰黄色で、縦に深く裂け、コルク層がよく発達し、この皮がコルクに利用されることから、コルククヌギの異名をもっています。

2011/06/22  

樽見の大ザクラ【たるみのおおざくら】

 

樽見の大ザクラ【たるみのおおざくら】

樽見の大ザクラ

(エドヒガン)
・国指定天然記念物
・目通り幹まわり 5.2m

・樹高 約20m
・樹齢 千数百年
・養父市大屋町樽見

 

●関連情報
養父市役所

●樹齢千数百年、出石藩主も遊覧した大ザクラ
但馬には、天然記念物に指定された桜が4件あり、なかでも「樽見の大ザクラ」は、最も古い1951年に国の天然記念物に指定されたものです。
この大ザクラは樹齢千数百年といわれ、樹種はエドヒガン、樹冠は約3.8アールもあり、桜の古木としては県下第一といわれています。説明板に「最も盛んだったのは元禄の頃で、当時は樹冠20間四方にわたり、開花の時は皎々として白雪のように偉観を呈し、文人墨客の訪れがあとを絶たず、かつての出石藩主・小出備前守も遊覧した」とあるように、古くから広く人々に知られ、親しまれてきました。
長い年月を経てきたこの古木は、大雪によって大枝を損傷したり、植林による日照不足など、さまざまな障害を受けてきましたが、地元の「樽見の大桜保存会」を中心とする保存活動が実り、活力を回復して樹勢もよくなりました。現在では、年間約1,000人もの人がこの大ザクラのもとを訪れ、その偉大な姿をたたえています。
このところ樹勢に衰えが見えていましたが、1997年から丸太の支柱で枝を支え、樹木医による再生対策などをほどこして、少し勢いが回復してきたそうです。地元の小学校ではこのサクラの種をまき、二世の苗木を育てています。

2011/06/22  

宗鏡寺【すきょうじ】

 

宗鏡寺【すきょうじ】


宗鏡寺
・豊岡市出石町東條

・宗鏡寺本堂庭園
県指定名勝

●別名沢庵寺、沢庵の名園や復元された庵がある
入佐山のふもと、山名氏の菩提寺として明徳3年(1392年)山名氏清によって創立されました。寺名は氏清の法号、宗鏡寺殿から名付けられたとも言われています。しかし、山名氏滅亡後、寺は荒廃してしまい、元和2年(1616年)沢庵和尚が、出石城主小出吉英に再興をすすめ、以後歴代の藩主の加護を受けてきました。 沢庵手造りの名園があり、 昭和43年には、 沢庵が庵を建て静かに生活を送ったとされる投渕軒が復元されています。沢庵和尚ゆかりの寺として、「沢庵寺」とも呼ばれています。

2011/06/22  

正福寺【しょうふくじ】

 

正福寺【しょうふくじ】

正福寺

・新温泉町(旧温泉町)湯
・不動明王立像
県指定文化財


・ショウフクジザクラ
県指定天然記念物
●湯村温泉の開祖・慈覚大師創建の名刹
 旧温泉町の荒湯を見下ろせる場所にあり、境内には夢千代像が佇んでいます。ここに咲く珍しい桜を見に、毎年多くの人が訪れます。この桜は、キンキマメザクラとヤマザクラの自然交配種で メシベが2~4本もあるという珍種。正福寺で発見され、「正福寺桜」と命名されました。4月上旬~中旬に咲き、花弁は50枚以上のものもあって、樹齢に関係しているといわれています。
嘉祥元年(848)、慈覚大師が湯村温泉開発の際に創建したと伝えられる名刹で、本堂には平安後期の作と考えられる不動明王立像が本尊として安置されています。
県の文化財に指定されているこの像は21年毎に開帳される秘仏で(2004年開帳)、普段は見ることが出来ません。高さ134.5cm、桂の木の一本造りで、面貌は引き締まり、明王としては怒りの表情が少ないものです。衣文の皺の表現に特色のある翻波式手法が用いられ、全体的に作風は素朴。この地方で造られた物と考えられています。
山門脇には、慶安の変(由井正雪の乱)の首謀者の一人、熊谷直義が建てた両親の供養碑があります。熊谷直義は、幕府転覆計画・慶安の変の発覚直後、この地に潜んで天寿を終えました。その遺品が寺内に保存されています。
湯村温泉と共に歴史を刻んできた由緒ある正福寺。賑わう温泉街を見守りながら、今も静かに時を刻んでいます。