西光寺【さいこうじ】
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●寛政年間に寄進された石灯籠 西光寺は、浄土真宗に属する寺院で、本尊に阿弥陀如来像が安置されています。創立時期は不明ですが、近江国犬上郡夏河の里出身の小林和泉守親正が、天正年間に芦屋城にきて、その後落城により浜坂に住んだといわれています。 |
西光寺【さいこうじ】
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●寛政年間に寄進された石灯籠 西光寺は、浄土真宗に属する寺院で、本尊に阿弥陀如来像が安置されています。創立時期は不明ですが、近江国犬上郡夏河の里出身の小林和泉守親正が、天正年間に芦屋城にきて、その後落城により浜坂に住んだといわれています。 |
大乗寺【だいじょうじ】
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大乗寺 ・十一面観世音菩薩 ・拝観料大人800円 ●関連情報 |
●別名応挙寺、165の障壁画が立体曼陀羅をつくりだす 高野山真言宗 亀居山 大乗寺は聖武天皇の御代天平17年(745)、行基菩薩自ら聖観音菩薩立像を彫刻し祀ったのが始まりとされています。一時衰退しましたが、安永年間、密蔵法印が伽藍の再建につくし、弟子の密英上人が後を継ぎ伽藍を完成させました。 その際、客殿に円山応挙とその一門の手による障壁画が描かれ、そのため別名応挙寺とも呼ばれ、多くの人々が訪れています。 円山応挙(1733~1795)は、はじめ狩野派の石田幽汀に学び、その後、自然の写生に専念したり、西欧の遠近法などの手法を学び、彼独特の新しい画風としての写生画を完成しました。その写生画はあらゆる階層の人々に支持され、画壇の第一人者となり、円山派の祖として仰がれた人物です。 その昔、円山応挙は生活が苦しく絵を売りながら、何とか暮らしを支え、絵を学んでいたころ、大乗寺の住職・密蔵上人と出会いました。上人はまだ無名であった応挙の画才を見抜き、即座に学費を援助しました。応挙にとって大乗寺の密蔵・密英住職は、忘れることのできない恩人だったのです。 天明7年、当時55才になっていた応挙は、古くなって改築の時期がきていた大乗寺伽藍の話を聞きつけました。以来8年間、5回に渡って大乗寺を訪れ、子や弟子の呉春・長沢芦雪らとともにご恩返しとして、多数のふすま絵や軸物を描いたと伝えられています。 大乗寺の中心に位置する仏間の十一面観世音菩薩(国重文)を守る立体曼陀羅が、客殿13室(県指定文化財)に障壁画として165面も描かれ、すべて国の重要文化財に指定されています。 ※作品の一部はデジタル再製画を展示 |
山路寺【さんろじ】
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山路寺 ・障壁画(絵画) 県指定文化財 |
●片山楊谷の唯一の大作として知られる「障壁画」 |
日輪寺【にちりんじ】
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日輪寺 ・鰐口(工芸品) 県指定文化財 |
●応永年間に作られた貴重な文化財「鰐口」 |
法宝寺【ほっぽうじ】
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法宝寺 ・木造薬師如来坐像(彫刻) 県指定文化財 |
●珍しい手法で作られた「薬師如来坐像」 |
楽音寺【がくおんじ】
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楽音寺 ・経瓦(考古資料) 県指定文化財 |
●阿弥陀如来像が彫り込まれた珍しい「経瓦」 |
鷲原寺【わしはらじ】
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鷲原寺 ・石仏群 県指定文化財 |
●16体の石仏が佇む「岩屋観音」 |
綾部家住宅【あやべけじゅうたく】
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綾部家住宅 ・朝来市生野町口銀谷 国登録有形文化財(建造物)
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●黒い漆喰で覆われた趣のある木造平屋建て住宅 綾部家住宅は、加藤静太郎の育った加藤家の住宅として知られています。加藤静太郎は、ドゥー・セヴォズという鉱山技師ときよという娘の間に生まれ、ルイ・セヴォズと名付けられました。このことからドゥー・セヴォズは鉱山技師として解雇処分になり帰国させられ、ルイ・セヴォズは鉱山幹部の加藤正矩に、長男・静太郎として引き取られました。 綾部家住宅は、「銀の馬車道」と呼ばれる当時の高速道路と言える馬車専用道路の整備前後に建築されたと言われています。綾部家住宅の外観は、切妻造りの平入のツシ二階建ての建造物で、下屋根をつけ桟瓦葺造りになっています。綾部家住宅の内部は北に土間が、南に部屋が四室あります。二階部分が低く壁の上塗りに黒い漆喰が使われており、それらの外観は非常に趣のあるものになっています。 |
蓮華寺【れんげじ】
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蓮華寺 ・木造聖観世音菩薩立像 県指定文化財 |
●別名「夏梅の庭寺」とも呼ばれる古刹 |
福王寺【ふくおうじ】
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福王寺 ・木造阿弥陀如来立像 県指定文化財 |
●平安時代と鎌倉時代の様式を合わせ持つ仏像 |