2011/06/22  

川下祭り【かわすそまつり】

 

川下祭り【かわすそまつり】
川下祭り
川下祭り
川下祭り(新温泉町)
・新温泉町浜坂宇都野神社
7月17~19日
川下祭り
・新温泉町(旧浜坂町)/浜坂宇津野神社/7月17~19日

川下祭りは但馬三大祭のひとつで、毎年7月19日から3日間にわたり、宇都野神社で行われます。祭りの起源は江戸時代の中期に始まったと伝えられ、京都の祇園祭の影響を色濃く受けています。
祭の中心は、旧浜坂町内を練り歩く神輿と麒麟獅子舞。麒麟獅子舞は、神輿行列の先導役として、町内を回り、家内安全を祈念して優雅に舞い踊ります。二人の舞手が頭と尾を持って舞う「二人立ち」の獅子舞で、獅子頭に特徴があり、県無形民俗文化財に指定されています。
また、町内には露店が立ち並び、夜には花火大会も催され、数多くの見物人で賑わいをみせます。

2011/06/22  

青倉神社大祭【あおくらじんじゃたいさい】

 

青倉神社大祭【あおくらじんじゃたいさい】
青倉神社大祭
青倉神社大祭
(朝来市)
・朝来市川上青倉神社

4月25日・10月25日

 

青倉神社大祭
・朝来市/川上青倉神社/4月25日・10月25日

「目の神様」として霊験あらたかな神社として知られる青倉神社。その由来は、この地を訪れた役の行者の目にウドの葉の小さなトゲが刺さり、岩のすきまから流れ出る水で洗い、眼の痛みをとったとされています。行者は山を下り、村人達にその岩間の水のことを「神水」と名付け、神水のそばにそそりたつ大岩を「ご神体」と定めたことから、近隣の村人が道を着けたり祠を建てるなどして、青倉神社が出来ました。事実、この水はホウ酸を良く含み、科学的にも目に良く効くことが分かっています。
4月25日・10月25日に行われる大祭当日は、山上にそびえる青倉神社で祈祷が行われます。ふもとの善隆寺ではもちまきが行われ、また、露店も出てたくさんの人出で賑わいます。

麦わら細工【むぎわらざいく】

 

麦わら細工【むぎわらざいく】
麦わら細工

作業

麦わら細工
(豊岡市城崎町)

繊細な図柄、鮮やかな色合い。細やかな線が織りなす民芸品。

 

城崎温泉独自の民芸品

江戸時代の中期、享保年間に、因幡(いなば・鳥取県)から城崎温泉に来た半七という人が、湯治の手なぐさみに、竹笛に麦わらをはりつけたことが始まりとされています。その当時、林屋旅館に泊まり、麦わらで花かごや虫かごをつくり、麦わらの色つけもしたといわれています。

麦わら細工は、大麦のさやを色染めして、ストロー状のものを編み込む「編組物」。さやを切り開き、花鳥などの模様を桐箱にはっていく「模様物」。そして、幾何学模様にはっていく「小筋物」に分けられます。すべて手作業に頼るしかない麦わら細工は、つくる人の心がそのまま作品に伝わり、温泉客に人気の高いお土産物となっています。
城崎文芸館では、麦わら細工の実演を見学できるほか、ハガキ、コマ、竹とんぼなどの麦わら細工の体験をすることができます。

作業 ■城崎文芸館
・豊岡市城崎町湯島357-1
・TEL.0796-32-2575
・午前9時~午後5時
(入館4時30分まで)
・水曜定休(祝日の場合は翌日)
・入館料/大人400円.中高生300円
麦わら細工体験料/300円程度

2011/06/22  

麒麟獅子舞【きりんじしまい】

 

麒麟獅子舞【きりんじしまい】
麒麟獅子
麒麟獅子
浜坂の麒麟獅子舞
浜で舞い路地から各家々を舞いながらねり歩く。子どもの頭を噛んでもらうと健康に育つと言われている。

・浜坂宇都野神社.居組.三尾の麒麟獅子舞は県重要無形文化財

麒麟獅子舞
新温泉町(旧浜坂町)
・居組麒麟獅子舞/10月9日 大歳神社(新温泉町居組)
・諸寄麒麟獅子舞/7月14日.15日 為世永神社(新温泉町諸寄)
・浜坂麒麟獅子舞/7月19日~21日川下祭
10月8日 宇都野神社(新温泉町浜坂)
・栃谷田君麒麟獅子舞/10月13日 厳島神社.長田神社(新温泉町栃谷)
・七釜麒麟獅子舞/9月29日 山宮神社(新温泉町七釜)
・福富麒麟獅子舞/9月28日 三柱神社新温泉町福富)
・和田麒麟獅子舞/10月3日 八柱神社(新温泉町和田)
・三尾麒麟獅子舞/10月9日 八柱神社.三柱神社(新温泉町三尾)
浜坂宇都野神社.居組.三尾麒麟獅子舞は県の重要無形文化財

新温泉町(旧温泉町)
・千谷麒麟獅子舞/4月17日 秋葉神社
9月19日三宝荒神(新温泉町千谷)
香美町香住区
・鎧麒麟獅子舞/10月5日 十二社神社(香美町香住区鎧)

麒麟獅子舞
麒麟獅子舞の起源については定かではありませんが、現在残っている資料から推測すると、鳥取藩の初代藩主・池田光仲が慶応3年(1650)に因幡の樗谿神社(おおちだにじんじゃ)に日光東照宮の御分霊を勧誘したときの祭礼行列に、日光東照宮を象徴する麒麟を頭にした麒麟獅子舞を、因幡東照宮の奉納芸能として舞ったのが始まりとされています。
鳥取に広まった麒麟獅子舞が但馬にも伝えられたのではないかといわれていますが、いつごろのことなのか何も文献が残っていません。現在、麒麟獅子舞が残っているのは、鳥取県東部地域から兵庫県浜坂町、温泉町、香住町のみで、他の地域では見ることができません。麒麟獅子舞の麒麟の顔は大きな口、大きな鼻の穴、目の上に太いまゆ、立った耳、そして一本角とユーモラスな表情をしています。
新温泉町(旧浜坂町)と鳥取県の麒麟獅子舞では違いがあります。新温泉町(旧浜坂町)では、お囃子(はやし)に「ジャンジャン」と呼ばれるシンバルのような小型の楽器が用いられますが、新温泉町(旧浜坂町)以外では、木槌で叩く楽器「鉦(しょう)」が用いられるのが特徴です。また、お囃子のリズムも新温泉町(旧浜坂町)は速く、鳥取は遅いといわれています。新温泉町(旧浜坂町)の8つの舞いも、それぞれに舞い方、囃子のリズムなどが微妙に異なっています。

浜坂宇都野神社の麒麟獅子舞
江戸中期から伝承されているもので、7月の夏の例祭、「川下(かわすそ)祭り」で神前で舞われた後、御輿(みこし)町内巡行列の先導として町内を廻り、家々の門前で家内安全を祈念し勇壮に舞います。祭り当日は露店が並び、花火が上がり、近隣から多くの見物人が押し寄せて、町は祭り一色となります。

2011/06/22  

海上傘踊り【うみがみかさおどり】

 

海上傘踊り【うみがみかさおどり】
傘踊り
海上傘踊り(新温泉町)
・新温泉町海上
盆踊り
海上傘踊り
・新温泉町(旧温泉町)/海上/盆踊り

江戸時代から雨乞いを祈る絵模様傘の鈴の音。徳川末期、山陰地方が大干ばつに見舞われたとき、困った農民たちが雨を求めて色々な祈願をする中で、五郎作と言う老農夫が、三日三晩冠笠をまとって狂い踊りの悲願をたてたところ、満願の日に大雨が降り出し、飢饉から脱したといわれています。以来、盆踊り行事として伝承され、海上村の青壮年が保存しています。いつの頃からか、今日のような長柄の絵模様傘や踊りへと工夫改良されました。傘に大小240余りの鈴を付け、2人1組となって、2分の1拍子の曲に合わせて踊ります。
約5種類の曲があり、勇壮活発な舞いは、湯村温泉の観光名物となっています。昭和49年には、世界三大祭りの一つといわれるニースのカーニバルにも派遣され、勇壮活発な踊りを披露しました。

2011/06/22  

菖蒲綱引き【しょうぶつなひき】

 

菖蒲綱引き【しょうぶつなひき】
綱引き
綱引き行事は、東日本では小正月のときに、西日本では旧正月・節供やお盆の行事の一つとして、また九州では仲秋の名月におこなわれるなど、かつては全国的に分布していた民俗行事の一つです。

菖蒲綱引き
菖蒲綱引き(新温泉町)
・新温泉町久谷
6月5日
・国の重要無形民俗文化財

 

菖蒲綱引き
・新温泉町(旧浜坂町)/久谷/6月5日

端午(たんご)の節供(6月5日)に、屋根にあげた菖蒲(しょうぶ)・よもぎ・すすきで編んだ綱を引き合う菖蒲綱引きの行事がおこわれます。綱引きは5日、夜8時から久谷の人たちが綱をはさんで子供組と大人組に分かれ、古老が唄う「石場搗(ひ)き唄」にあわせて、「エイトー、エイトー」のかけ声をかけながら7回引き合います。また、7回目の勝負を「納め綱」と呼び、勝負の結果でその年の豊作を占います。
久谷の綱引きは、生の草を編んだ綱を年代別に分かれて引き合い、年占いに加えて、地区の発展を祈っておこなわれるなど、江戸時代から日本海沿岸に伝わる綱引き行事の形態をよく伝えています。


菖蒲綱引き
湯村温泉まつり
菖蒲綱引き
新温泉町)
・新温泉町湯
6月第1日曜日
湯村温泉まつり菖蒲綱引き
・新温泉町(旧温泉町)/湯/6月第1日曜日

湯村温泉の祖、慈覚大師(じかくたいし)をしのび旧暦の端午の節句(現在は6月第1日曜日)におこなわれる伝統行事。弘安の頃(720前)から、温泉の恵みに対する感謝、五穀豊穣、子どもたちの健やかな成長を祈ります。湯村温泉まつりとして親しまれていますが、別名「花湯まつり」ともいいます。
まつりの一大イベントが 菖蒲綱引きで、直径約50cm、長さ100m、重さ4tの菖蒲綱を、住民や観光客も加わって上と下に分かれて引き合います。勝負は1回限りで時間は5分間、勝負(菖蒲)運を占うものとして大変縁起がよいとされています。
古来、菖蒲は魔除けや薬として生活の中に取り入れられてきました。無病息災を祈って浴槽の中に入れ、香り高い菖蒲湯も楽しみます。

2011/06/22  

はねそ踊り【はねそおどり】

 

はねそ踊り【はねそおどり】
はねそ踊り
はねそ踊り(新温泉町)
・新温泉町丹戸
盆踊り
・県指定無形民俗文化財
はねそ踊り
・新温泉町(旧温泉町)/丹戸/盆踊り/県指定無形民俗文化財

戦国時代、田舎の豪士が我が家、我が身を守るため、家の子郎党に剣術を教えたことに由来するといわれています。その後、桃山時代に歌舞伎音曲が流行し、頭を切り六方を踏むようになり、その音曲を剣術に取り入れ、父が亡くなった後、仏前に向かい剣術を踊って供養し、霊を慰めたことから盛んになりました。
毎年、盆には行事の一つとして踊られ、古くは村祭りや田植え休み(しろめて)などにも村人総出で踊りに加わったといわれています。踊り手は2人、時には3人が1組となり、棒、懐剣、脇差、なぎなたなどを手に、太鼓とはやしに合わせて所作事を演じるもので、踊り手の多い時には何組もが円陣をつくって演じます。所作事の芸題は毛谷村六助、鈴木主人、平井権八、宮城野信夫、国定忠次など数多く伝わっていますが、古くはさらに鬼神のお松、笠松峠仇討、夏目千太郎、その他何十種もあったといわれます。
その型の由来するところは歌舞伎にあり、顔の向け方、足の踏み方にも直線的なきめてがあります。また敏捷な動作やしなやかな身のこなしには気迫とともに節度があります。その女役は、かつては男子の女形によって演じられていましたが、現在は女性が進んで女役を演じるようになりました。
この地区の盆踊りには他にも多くの歌曲と踊り手があったようですが、口説風の調子と諸作事だけが「はねそ踊り」の名で今日に伝わったと考えられ珍重されています。

2011/06/22  

まいそう祭り【まいそうまつり】

 

まいそう祭り【まいそうまつり】
まいそう祭り
まいそう祭り(養父市)
・養父市大屋町宮本御井神社

1月14日

・国指定無形民俗文化財

 

まいそう祭り
養父市大屋町/宮本御井神社/1月14日

古くから、神社の氏子たちに受け継がれてきた祭りで、古鬼面姿に木鉾を持った鬼をたたき、その年の無病息災を願います。伝説によると、その昔、この地が泥海であった頃、神が3艘の船に乗って渡っていたところ、2艘の行方がわからなくなりました。1艘は大屋町の隣、養父町建屋の船谷で見つかりましたがもう1艘はみつかりません。見つかった1艘の船は「アッター、アッター」と舞う、「御船祭」または「笑祭」と呼ぶ祭りとして伝えられていましたが、今では途絶えてしまい、資料の中でしか確認できません。

しかし、見つからなかったあと1艘は、「まいそう祭り」として残されています。「マーイソーナイ」(もう1艘ない)と呼びかけながら、夜を徹して捜すということが「まいそう祭り」の起こりとされています。

祭りは本殿で神事のあと、神主の御神火から点火された松明(たいまつ)を手に持ち、円陣を組みます。鬼役を演じるのは厄年の男性3人。太鼓の合図にあわせて、右手に木箱、左手に木鉾を持った一番鬼が拝殿から飛び出し、時計と逆回りに円陣をまわります。氏子たちは、「まいそう祭り」の語源である「マーイソーナイ」(もう1艘ない)とはやし立て、炎々と燃えさかる松明を頭上で振りかざしながら、木箱に激しくたたきつけます。二番鬼、三番鬼の順で続き、円陣を三周したあと、ほえ声をあげて本殿にそれぞれ消えます。燃えさかる松明の炎で鬼を追い払う珍しい火祭りです。

2011/06/22  

三番叟【さんばそう】

 

三番叟【さんばそう】
三番叟
三番叟
(香美町香住区)

悪霊を鎮める主役の翁、千歳、黒木将の三神が厳かな舞いを奉納します。
・町指定無形民俗文化財
三番叟
香美町香住区
・10月2日/沖野神社(訓谷)

・10月5日/八坂神社(一日市)・香住神社(香住)

吉野神社(森)・法庭・八幡神社(下浜)

・10月7日/大放神社(沖浦)

「とうとうたらり、たらりらたらり」と、ゆっくり低い声の地謡ではじまる三番叟。「天下太平」「長久円満、息災延命」などの祈りをこめ、秋祭りの日、香美町香住区内の6地区で氏神に奉納されます。1つの地区に集中して残っているのは、県下でも大変珍しいとされています。

三番叟は三番猿楽と呼ばれて古くからあり、香住町では室町時代に始まったと伝えられる伝統芸能で、別名「踏子(ふみこ)」とも呼ばれています。舞うのではなく、踏み鎮めの祈祷のなごりだと考えられています。

翁(おきな)、千歳(せんざい)、黒木将(くろきじょう)の三神にふんした子どもたちが、謡(うたい)や笛、太鼓、拍子木のリズムに合わせて力強く舞台を踏みます。

2011/06/22  

奈佐節【なさぶし】

 

奈佐節【なさぶし】
奈佐節 (豊岡市)
・ふるさと文化賞受賞
(平成12年度)

・豊岡市指定民俗文化財

・無形文化財指定

●奈佐節のはじまり
奈佐節は鎌倉時代に生まれました。18世紀になって、豊岡にあった福成寺が出石城主の招きにより移転することになりました。檀家の人々が生活の支えを失い嘆き悲しんでいたところへ、さらに大水害が奈佐地区一帯を襲いました。そこへ、法如上人(一向宗第17代京都西本願寺住職)が、復興の慰問にこの地を訪れました。人々はたいそう喜び、法如上人を歓迎するために、歌い踊ったことが現在の形のはじまりといわれています。

●奈佐節の継承

戦前までは、奈佐地区を含む円山川下流一帯では奈佐節(六条さん)は盛大におこなわれていましたが、戦争で踊り手が少なくなり、自然消滅しつつありました。しかし、のちに住民から地区芸能の復活を望む声があがり、保存会が結成され、古老から歌や振り付けを聞いて、再び奈佐節が蘇りました。現在はふるさとの文化と誇りを大切にしようと、後継者を育てる活動を積極的におこなっています。